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2008年2月10日日曜日

プノンペン

2005/12/30
さて、今私はカンボジアの首都プノンペンにいます。
カンボジアは危ない場所かと少々心配していましたが、心配しすぎる必要はありませんでした。
私の連れは4年前にここに来たことがあるのですが、町も様変わりし、人々は以前よりもハッピーだと驚いていました。
プノンペンの町は予想よりもかなり大きく、経済成長している様子がうかがえます。しかし確かに貧富の差は大きく大きな豪邸が並ぶ所もあれば、小さな木造の小屋が所狭しと並んでいる場所もあります。
昨日は「Killing Feilds」(Kmer Rouge の時代に多くの人が殺され、その遺骨、洋服ともに葬られているパゴダ)に行ってきました。うずたかく盛られた人の骸骨・・・。とてもとても悲しい切ない場 所でした。そこでそれを直視できなくなった私は近くのベンチに座っていたのですが、10人程の子供がやってきて歌を歌い始めました。1曲2曲次々と続く歌 に後からお金をせがまれるのを知りながらも子供たちの生きる力、ポジティブさに心明るくしてもらいました。
お金をせがむことは彼らの生きるすべのひとつなのでしょうが、お金を渡すことはしないと決めているのでお金の代わりに日本の歌を何曲か歌いその場を去りました。
たった8年前まではみんなが恐怖におびえていた町は人々の生きるエネルギーともっとよい社会にと突き進むポジティブさに溢れた町になっています。
これからの成長が楽しみです

シーパンドン

2005/12/28
クリスマス休暇は南の暖かいところへとパクセーからバス、船を乗り継いでシーパンドンへ。
メコンに浮かぶ島々はとても静かでのんびりしています。
私達は小さな川沿いのバンガロー「Mr.NOI's Bngalow」に宿泊。主人のノイさんはフレンドリーで、まだ結婚して2ヶ月のかわいい奥さんと2人で経営しています。トイレ、シャワーも清潔、奥さんのご飯もおいしく、何よりのんびりできます。
そこで会った人たちとクリスマスはキャンドルを灯し、バンガローでのんびり、星を見たり、話をしたりしてすごしました。パーティーや買い物で忙しいクリスマスとはまったく正反対のクリスマス。
美しいクリスマスでした。
次の日は、やはりここに来たからにはピンクイルカを見なければと、Mrノイにイルカツアーに連れて行ってもらいました。
まずは東南アジアで一番大きいといわれる滝へ。悠々と流れる雄大で穏やかなメコンしか見たことがなかった私は、荒々しいまったく違う顔のメコンの滝に圧倒されました。
茶色い水しぶきを上げ、岩にぶつかりながら流れ落ちる荒々しいメコン。そしてまたゆっくりと他の国へ。
そして次に船に乗り込みイルカウォッチングへ。緑に囲まれた島々をみながらの穏やかなメコンクルーズは最高です。小さな岩の島へ船を着けそこでイルカが来 るのを待ちました。すぐに2、3頭姿を現しました。少々遠くですがそれなりに見れます。色はピンクイルカといいますが黒に近いグレーで、大きさは普通のイ ルカより小さく見えました。あちらこちらに何頭づつか現れ私たち観光客を楽しませてくれました。イルカは頭がいいのできっと「ああ、また観光客だ。楽しま せてやるか。」といった感じなのでしょうか。見れないときもあるようなので、見れてよかった。
行きにトゥクトゥクが火を噴いたり、帰りにパンクをしたりとなかなかアドベンチャーな旅でしたが、楽しいツアーでした。
このツアー以外は何をするともなくただメコンを眺めのんびりしていました。のんびりするには一番の場所ではないでしょうか。私のお気に入り1番です。

パクセー

2005/12/23
さて、今私はビエンチャンにいます。
これから少々クリスマス&正月バケーション及び友人に会うためにラオスの南部、カンボジア、タイ、インドへ行くことにしました。
まずはカンボジア大使館にてビザ(20US$。ドルだけの受付でした)を準備しこれからの旅に備えました。
パクセーへはナイトバスで移動予定です。12時間の長旅・・・。最近移動が多いので少々移動疲れぎみですが、寒い北部を抜け出して暖かい場所、新しい場所へ行く興奮が疲れに勝っています。楽しみです。
パクセーには淡水に住むピンクのイルカが住むそうです。見れるといいなあ。

再びノンキャウへ

2005/12/23
ビエンチャンへ帰る途中に再びノンキャウへ。
廃乾電池回収コンテナーを置いた高校を訪れてみると更に3キロほどの乾電池が増えていました。以前は壊れた乾電池や燃やされたものも混ざっていたのですが 今回はきれいなものがほとんどで、この3キロが川に捨てられたり、燃やされたりすること無く生徒に回収され、保管されていたのがうれしい限りです。
そして町の店やゲストハウスに置いた小さい回収ボトルにも3、4個の電池が入っておりその度生徒が回収してくれているとの事でした。今回はあまり時間が無 かったので壊れたり汚い乾電池をコンテナーに移し空けられないようにボンドとテープで閉め保管し直し、きれいなものだけを集めてもらうようにし、本を何冊 か渡し学校を後にしました。
村の人々皆さん協力的で、このまま意識が高まってくれることを願っています。

寒いルアンナムター

2005/12/19
今、再びルアンナムターにいるのですが、寒い寒い。ラオスというと暑い国というイメージがあるのですが、北部はかなり冷え込みます。雪こそは降りませんが、昨夜は5度ぐらいだったのではないでしょうか?暖かい南が恋しいです。
ここルアンナムターで、以前書いた乾電池回収計画を引き続き行いたかったのですが、まだ最終工程(乾電池を集めた後にどう処理するか)が曖昧な状態なので計画自体再検討中です。
しかし、村によっては乾電池を開けその中の黒い粉をインク代わりに使ったり、タトゥーに使ったりしているという話を聞き、集めるのがまだでも、電池の危険性だけはまず先生、生徒、多くの人に早く知らせる必要があります。

さて、今回はまず最初にトンマイ少数民族寄宿学校(中、高校生の年齢)に本を数冊届けに行きました。。学校は以前よりもきれいに整備され、小さな菜園もで きていました。電気が早く来てくれればいいのですが・・・(電気を通すのに5、6万円かかるらしくまだ国からの支援がないそうです・・・)
前回訪れた際、生徒と一緒にごみ拾いをしプラスチックを燃やすと毒(ダイオキシン)が出ることや、電池には毒(水銀など)が入っていて燃やしたり、その辺 に捨てると危険なことを話しました。生徒たちはそれを覚えていてくれて、乾電池を一箇所に集めていてくれました。とても早い反応が嬉しいです。そこで市場 に行き廃乾電池用のプラスチックバケツ、トイレ用の水桶、井戸のバケツとロープ、増えた生徒用のジャケットや靴下などなどを買い込みトンマイ学校へ届けま した。これから学校や生徒が使った電池はここに集めてくれます。大きなバケツが一杯になるには2、3年ほどかかるのでそれまでには最終工程が決まっている はずです。

次にK44村の小学校に本、絵本を届けました。K44村には先月韓国のボランティアの方々が訪れ新しい学校を建設中です。

そして、ルアンナムターの少数民族寄宿学校に本を届けました。そこで、先生に電池を集める計画を話し、最終工程が決まり次第、協力をして欲しいと相談を持 ちかけました。先生たちは賛成してくれ、本と乾電池の交換のアイディアも気に入ってくれました。今回は毛布が足りないので毛布30を持っていったのです が、生徒数は238名。とても足りず、2日後再び訪れることを約束しその日は帰りました。
そして2日後、やはり2人だけで動いている私たちにはすべての毛布調達は無理なので暖かいマフラー、帽子と少しの毛布とを再び届けに。帰り際に先生が「生 徒に会いに行きましょう。」と先生が生徒のところへ私たちを連れて行ってくれました。先生が「タン ファイサーイ(?)」と叫ぶと生徒たちが次々と廃乾電 池を持ってくるではありませんか。あっという間に大きい袋は一杯になり私たちは多くの生徒たちに囲まれました。そこで電池の危険性、やっては危ないことを つたないラオス語ですが先生の協力を得ながら話をすることができました。この学校にも廃乾電池用バケツを届け学校を後にしました。
たった2日前に話をしただけなのにもうすでに10Kgの廃乾電池が集まりました。反応の速さに再び嬉しい驚きです。

確かに今やっていることは応急手当で、先はどうするの?みんながそれぞれ捨てれば少しだけど、一箇所に一杯集めて捨てるのはもっと危ないんじゃない?また2人だけでどこまでできる?という指摘は受けます。指摘はもっともです。
しかし最終オペをするまでに応急手当は必要だと思います。そして、みんなが川に捨て、燃やし続けるのは本当に一箇所の安全に管理された場所に集めるより危険なのでしょうか?
今はまだまだ2人だけで動いていますがこうやって多くの人が協力し理解していってくれれば、時間はかかりますが、システムはできるのではないでしょうか。

廃電池回収計画

2005/12/15
廃乾電池回収計画を試すためノンキャウを再び訪れました。
ここは小さな村なので村の人々の協力を得安いと考えたからです。
まず村長、ゲストハウス、町の人に回収ボトルのサンプルを見せ、私たちの計画を話しどう思うか聞いたところ「それはいいね。今は川に捨てたり燃やしたり道に捨てたりすることが多くて危ないからね。」と賛同してくれました。大変よい兆しです。
その後、中学校のを訪れ、先生に廃乾電池を子供の協力で集めたい。集めた乾電池を雨などで濡れない先生の管理下にある安全な場所で保管して欲しい。私たちが回収するとき廃乾電池と交換で教育資材、本、絵本を学校に届ける事を説明しました。
校長先生、先生ともに大変この計画を気に入ってくれ、すぐに生徒たちにこのことを伝え、学校に大きなバケツ1個、小さなバケツ3個。向かいの小学校に小さなバケツ2個置かせてくれました。
その夜、村長の家で開かれる会議に呼ばれそこで、乾電池の危険性、回収の流れ、教育資材、本を乾電池と交換することを詳しく村長、人々に説明し皆さん分かってくれ、協力を約束してくれました。
村の皆さん協力的で思ったよりことがスムーズに進みました。
村の人たちに廃乾電池を集めてます。廃乾電池を下さい!と言うとかなり驚いた顔をされます。
しかし、「乾電池は危ないので集めています。川に捨てると魚が毒を食べ、人間が魚を食べるでしょ。危ないですよね。」説明するとあーなるほどと納得してくれ、そこにいる人々で乾電池談義が始まりました。問題提起のよい機会になっているのではないでしょうか。
その後、ゲストハウス、店、バス停、交番に回収ボトルを置かせてもらい今回はノンキャウを後にしました。
また2週間後にうまく回っているか、どんな改善が必要か確認しに行く予定です。

協力的なNGO

2005/12/7
ラオスにもいろいろなNGOがあります。そこでも協力を依頼してすぐに返事を返してくれたのが「Action with Lao Children」です。
この団体はラオスの学校に図書館を作る手助けをしたり、日本語や英語などで書かれた絵本、本をラオス語に翻訳し学校に寄付したりしているグループです。
ラオスにはまだまだ本や絵本が足りず、本を読む機会が大変少ないために読んだり書いたりすることを大人になるにつれて忘れてしまうといった問題があるそうです。(詳しいことはALC「ラオスの子供」のHPを。)
ヴィエンチャンにはこのNGOのオフィス件図書室があり、そこを訪れさせてもらいました。
皆さんとてもやさしく協力的で、アドバイスをもらったり、絵本のストックを見せてもらったりさせてもらいました。
そしてこれから訪れる学校のために本を何冊か購入させてもらいました。
NGOによってはあまり相手にしてくれないところもあるので、こういったNGOの方々に会うととても安心します。ほんとうにありがとうございました。

美しい山間の町

2005/12/3
先日、スローボートでルアンパバーンまで下るためノンキヤウという山間の村を訪れました。川沿いに切り立った山々が美しくそびえる穏やかな素敵な村です。小さな村ですがバンガロー型ゲストハウスがいくつかあり、私たちも川沿いの素敵なバンガローに一泊しました。
そのバンガローは竹を組んで立てられており、扉、窓すべて天然素材でできています。ベッドには美しいシルクのカバーがかかっており、ランプシェードは土器 製、キャンドルライトで夜はライトアップできます。かなり気に入り、喜んでベッドに飛び乗ったところ・・・何だか変なにおいが・・・ん・・?
ふと左横を見てみるとそこには新しい猫のうん○が!!うわっ!っと飛び降り、管理人のお姉さんを呼びシーツやカバーなどなどすべて換えてもらいました。ふー・・・上に飛び乗らなくてよかった・・・
そんなことがあっても、いまだそのバンガローがお気に入り№1です。

そんな、ドキドキが起こるノンキャウですが、この村もほかの村同様ごみが普通に道に捨てられています。特に私たちが恐れているのは廃乾電池です。
ラオスではまだごみのシステムがあまり確立されておらず、道端、川にごみを捨てたり、何でも一緒に燃やしてしまいます。それが紙くずや自然に戻るものならいいのですが、乾電池やプラスティックもそのように扱われています。
しかもラオスで多く売られているのは安い乾電池。それにはいまだ水銀が使われており、すぐに使えなくなります(CDの1曲も聴けないことがあるそうです)。また、かなりもろく中のものがもれやすいので非常に危険です。
単1の水銀電池がもし土の上(中)で破れたら、1㎡を汚染しその利用価値は永久になくなります。また1つの小さなボタン電池は600トンの水を汚染するそうです。
そんな危険なものが豚や牛のえさの近く、水の中、また燃やされています。
怖いですよね。

今、私たちはその廃乾電池を子供たちの協力を得て集める計画を立てています。その処理は大変難しく費用も莫大にかかるのでコンクリートで廃乾電池を固めて コンクリートの建物に保管しようと思っています。まだ処理に関しては調査中、検討中ですので良い案をご存知の方はぜひ教えてください。
とりあえず手始めに廃乾電池を今月、来月から少しずつ集め回ります。
日本の電池は今は水銀ゼロですが、使用後の処理が難しいのは同じようです。私もそれを知って今までの電池の扱いに反省しています・・・どうしても乾電池がいるときは充電式乾電池がいいですね。

ありがとう

2005/11/30
先日、ルアンナムターからルアンパバーンへ移る時、バス停で日本人の女の子に会いました。
2ヶ月ほどアジアを旅をしているそうで、色々な話をし、私たちのしていることも少し話をしました。
もうすぐバスが出るということで、急いでさよならを言ってバスに乗り込もうとしたとき、「子供に教科書を買ってください」と50ドルを手渡してくれました。
もうバスが出てしまいます。お礼もそこそこにメールアドレスだけを渡して、バスに乗り込みバスからありがとうと手を振るしかありませんでした。
50ドルと言ったら大金です。15冊は裕に教科書が買えることでしょう!!
本当にありがとう。その温かい心がすごく励みになります。またあなたに会いたいです。

始めの一歩

2005/11/30

今、私たちは北の町ルアンナムターにいます。
しばらく、どこから手を付けていいか途方に暮れていたところ、ルアンパバーンの英語の先生がルアンナムターにあるEUサポートの教育課が手助けしてくれるだろうと、彼の友人を紹介してくれました。
早速、ルアンナムターへ移動しEUの教育課へ。EUの方々は皆さん協力的で、ルアンナムター州の教育省に後日連れて行ってくれました。そこで私たちの疑問 やプランについて話し、今の状況を聞き、彼らの勧めで2校の「少数民族のための寄宿学校」に連れて行ってもらいました。(嬉しいことに車や通訳まで用意し てくれていました。)
その中のムアンシンにあるトンマイ校は今月開校したばかり。建物自体は以前、技術学校として使われていたそうですが、それが閉校してからは放っておかれていたらしく、生徒は学校の周り一体に伸びはびこった草をを自分たちの手で少しづつ刈っていました。
その学校の話を聞き、学校を見たときは少々ショックを受けました。
そこの生徒は皆、小さな少数民族の村の出身で、ほとんどの生徒が両親または片親がいないので個人的資金援助は全くありません。
また、新しい学校なので政府からの援助はほんの少しだけ。今は10度の寒い夜を薄い敷物と古い穴の開いた毛布で過ごしています。台所には何も無くがらんど うの小屋に石で小さな釜戸を作りそこでキャンプのように毎日生徒が交代で煮炊きしています。しかし政府から支給されるのは一人18キロ(1ヶ月)のお米の み。大抵の場合、毎日2食白いお米と醤油が食事ということでした。
これでは勉強に集中する所ではありません。
私たちは彼らが彼らの村々へ帰り、先生、(多くの村の人々はラオス語は分からないのでその民族の言葉を話す先生が必要。しかし今はまだまだ不足していてそ こに大きな問題がある。)農業のアドバイザー(村では情報を読める人が必要)、またプラスチックを燃やしたり、電池を川に棄てるのがどんなに危険か伝える 伝達者となってくれると考え、これらの学校からサポートを進めることにしました。
そこで教育省の協力でトラックを用意してもらい、敷布団、毛布、ジャケット、ノート、食物、台所用品などなど買い集め学校へ。(1台のトラックぱんぱんの品々、3万5千円程。)
まだまだ足りないものは山ほどありますが、少しは暖かい夜を過ごせるかと思います。
後日、学校を訪れ学校の周りに棄ててあるプラスチックと古い電池を生徒と拾い集めそれを燃やす危険性を話しをし、また訪れることを約束しムアンシンを後にしました。
これが私たちの第一歩です。続けることが重要です。これからはもっといろんな方の協力が必要になっていきます。特に資金の工面をどうしていくかがこれからの課題となっていくことでしょう。
このページを読んでくださった皆さんぜひぜひ意見やアドバイス、メッセージを聞かせてください。

ブログ開始

2005/11/30
今、ラオスに来ています。
ラオスへ来た一番の目的は、村々の学校(特に少数山岳民族)にノートや教科書などを届けることです。まだまだ始めたばかりの活動で分からないことだらけで すがが、ラオスのやさしい人々に励まされ、助けられながら少しずつ前に進んでいます。出来る限りこのブログで活動の様子や美しいラオスの様子をお伝えして いきたいと思います。