2008年2月17日日曜日

ありがとうございました。


今日、グランメッセのフリーマーケットに出店してきました。
たくさんの方に来ていただき、買って頂きありがとうございました。
今回の収益金は、ラオスの学校の教材、生活用品となります。
私たちもそれぞれ仕事をしながらなのですぐにはラオスに行けませんが、
行った際には活動の様子、何を購入したかなどこちらのブログにアップしていきますのでたま~にこちらをチェックしてみてくださいね。

本当に本当にありがとうございました!!
                            Champa

2008年2月12日火曜日

フリーマーケットのお知らせ

今週の日曜にスパイスのフリーマーケットに出店します。
収益金はラオスの学校の教材、学用品、日用品となります。
場所はグランメッセ熊本です。
お暇な方はどうぞいらしてくださいね。

2008年2月10日日曜日

日本に帰ってきました

2008/1/9
帰ってきました。う~~~~~寒いよう・・・
正月っぽさがまだ残っているかと期待していましたがあまり残っていませんでした・・・
なんだか正月をスキップした感じ。

いつも海外から帰ってくると日本のいろいろなことに気づくのですが、
日本の道は全部アスファルトですね・・・小さな道も土の道がない・・・
そして緑が町に少ない・・・
もう少し緑を待ちに増やさないといけませんね。
もちろん気づくのは悪いところだけではありません。
サービスはやはり良い。何かを注文して忘れる事はほぼ無いでしょ。
それにエコバッグを目にすることが多くなった気がします。すてき!!

何はともあれうれしい我が家。
さ~て温泉にでも行こうかな!

バンコクに戻ってきました。


2008/1/7
久しぶりの更新です。
ラオスでの更新はなかなか難しいものがありました。ルアンナムターは特にインターネットがゆっくりで国際電話もかなり難しかったです。

さて、今回もムアンシン、ムアンロンの寄宿学校に行き様子を見てきました。
今回は自分たちでムアンシンまでバイクで行きました。
そこから教育委員会の方にムアンシンの学校に連れて行ってもらい学校の現状を視察。
それからソンテャウでムアンロンへ。
ムアンロンの学校は必要なものが多くまだ課題がたくさんです。
10人ほどの男の子は壁のない作りかけの寄宿舎に寝泊りをしていました。
今は寒い季節。ラオスも朝晩は13度ぐらいに冷え込みます。2人ほど頭痛で自分の村に戻っていました。

先生からの意見、見学した様子から今回は木材、敷布団、フリース、蚊帳、教科書などを購入することに決めました。
この資金は以前の芳文での売上金8万円も含まれます。ご協力ありがとうございました。

ルアンナムターでの目的を終え、ウドムサイからビエンチャンまでの航空券をコンファームしようとすると、その便はキャンセルとのこと・・・これはまずいと色々バンコクに帰る手段を親切な旅行会社の人と相談して、やっとバンコクに帰れる手はずが整いました。

G.H→バスターミナル ソンテャウ
ルアンナムター→フエサーイ  バス
フエサーイ→タイの国境 船
サワナケット→チェンラーイ ピックアップトラック
チェンラーイ→バンコク空港 飛行機
バンコク空港→カオサン バス

と一日でいろいろな交通手段を使い、朝6時に起き着いたのが12時・・・疲れました。

ラオス航空のリファウンドをフエサーイでしてくれると電話で言っていたのに行ってみればしまっっていました・・・まだお金は返ってきていないのですがバンコクでもらえるのでしょうか・・・?
明日、バンコクオフィスに行ってきます。

明日の夜の便で帰国です。たったの二週間ですが早く日本に帰りたい・・・。なんだか疲れました。
多分、バンコクの独特の雰囲気が疲れさせるのかな。
やっぱりバンコクはなんだか好きではありません。いつもなんだか寂しい気持ちになります。
かえってみんなと話すのが楽しみです。では、日本で。

元旦

2008/1/1
あけましておめでとうございます。
新年いかがおすごしですか?
今日は朝から友人の友人宅での新年会に招かれ行ってきました。
その方はランタン族の方でした。
高齢のランタン族の人たちは中国語を話せ、書けます。
中国語の話せる主人は大変喜ばれあちらこちらの家に呼ばれました。
わたしも少しのラオス語と文字でのコミュニケーションができました。
ラオスのもてなしといえば、ラオラオ(ラオスの焼酎)
大変度数が高く、しかもショットグラスで出されます。
それを1杯づつ飲みまわしていくのですが、何度もくるので相当酔っ払います。
それとあわせてビールも出され、次々と食事がもてなされて二人ともお腹いっぱいの酔っ払い。
厚いもてなしに心もいっぱいになって3時ごろGHに帰ってきました。
それから私も主人もベットに倒れこみしばらく昼寝。主人はまだ寝ています。

ラオスのお正月はそんなに大きくありません。
明日から多くの人が仕事です。というのは3月4月辺りのラオスの正月(ラオピーマイ・ソンカーン)がメインだからです。
なので、明日は英語学校と教育委員会をたずねてきます。

今、ルアンナムターです

やっとブログが更新できます。
しばらくインターネットの接続の運が悪く、更新できませんでした。
今ルアンナムターにいます。

バンビエンに3泊、ルアンパバーンに1泊し、今日朝9時のバスでルアンナムターへ来ました。(到着は6時半・・・。疲れたーー)

ラオスは急激に変化しています。行くとこ行くとこ新しい建物、レストラン、GHができ1年前からかなり変わっています。
ルアンパバーンは旅行客が特に多くGHを見つけるのに一苦労。
やっと見つけたのは1泊1部屋40ドルの街から遠いGHでした。
相場は大体6ドル。部屋もそれ程特別ではないけれども、TVと冷蔵庫がある・・・
そして名前はビラ・・・。なんだか納得いかなかったけれどもまけてくれる様子はまったくなく仕方なくそこに泊まりました。確かに快適だったけど・・・40ドルほどではなかったなあ・・・

そしてルアンナムター。
ここもGH、レストランがたくさんできていました。
ただ困るのは新しいバスステーションが出来ていて、それが街から遠い!!
12Kmほどあります・・・前のほうが楽だったなあ・・・。
新しい道もでき、新しい空港も出来ます。これからどんどん変わっていくことでしょう。
お願いだから良いように変わってねぇ~。

明日はお正月。皆さん良いお年を。

今、バンビエンにいます


2007/12/27(
昨夜、夜行バスにてバンコクを出発、朝7時ごろラオスへ入国しました。
ビエンチャンからすぐにバスに乗りバンビエンへ。着いたのは3時ごろ。
19時間のバスの旅・・・さすがに疲れました。
今、食事が終わりやっとこうしてブログを書いています。
しかし、インターネットが遅いのでなかなかさきに進みません。
これがラオスです。
とりあえず今日はゆっくり寝ます。

久しぶりのバンコクです

2007/12/26
さて、久しぶりのバンコクです。
暖かい!!暑いーーーというほどではなくてホッとしています。
クリスマスはやはり寒くないとピンと来ませんね。
しかしバンコクの大きなデパートなどはクリスマスイルミネーションで光り輝いています。
そして、国王の80歳記念のイルミネーションで王宮付近もピカピカ!とても美しいです。
タイに着いたというのに昨晩はクリスマスディナーでイタリアンを食べてしまいました。
(なんだか疲れ果てて、おいしそうなタイ料理屋が見つけられなかったんだよね・・・。)
手作りのピザ生地に本格的釜のオーブン。美味しかったです。

久々の独特の匂いがタイに来たなーーーとしみじみさせてくれます。
今日は朝から夜行バスのチケットを買い、主人は髪を切りました。
今夜、ラオスのビエンチャンに向けて出発です。
初のビエンチャン行きの夜行バス・・・ちょっと心配です。
(やはりハイシーズンで夜行列車も飛行機も満席でした・・・)

あら、今、ヤモリ(カベチョロ)がキキキッと鳴きました。
かわいいなあ。ヤモリがあちこちで見られます。夏ですねえ。
うちの母が聞いたら相当嫌がりそうです。

では、次はラオスから書きますね。

ギャラリーにて「ラオスの学校とハンドクラフト」開催

2007/1/16
熊本のカフェギャラリー「芳文」にて私たちの一年間のラオスでの活動と、ラオスのハンドクラフトの展示、販売を行います。
美しいラオスと子供達の笑顔、そして山岳民族寄宿学校の様子をお知らせします。
可愛いバッグやユニークなお人形、美しい織物などのハンドクラフトもご用意しています。
こちらのギャラリーの一階はカフェになっています。
土蔵作りのカフェでほっこりとおいしいスウィ-ツとコーヒーも楽しんでください。
お暇がありましたらいらしてくださいね。

<日程>
2月3日(土)、4日(日)、5日(月)
朝11:00より

<場所>
カフェレストラン「芳文」

熊本市内から国道3号線をまっすぐ宇土・八代方面に向かい南高江のパチンコ司をすぎ、しばらく行って左側。「おたる港」の向かい側です。

明けましておめでとうございます。

2007/1/12
ブログの更新ずっとしていませんでした・・・。なんてずぼらなんでしょう・・・。
皆さん新年はいかがお過ごしですか?
私は帰国が年末だったのでなんだか年末バタバタしてましたが、久々の日本のお正月はこてこて純日本風正月を過ごしました。
初めて御節を作り、着物を着て。なんだか気が引き締まりました。よい年になりそうです!
さて、次の予定としては、
来月3,4,5日にラオス活動報告とハンドクラフトを紹介する展示会を予定しています。
今はそれに向けて準備中です。
今年はあまり好きじゃないけど黒豆も食べたし、まめまめしく働きたいと思います。

ムアンシン・ムアンロンの寄宿学校

2006/12/10
12月8日、朝8時にマーケットに行き前の日に頼んでおいた毛布、フリースジャケットを車に積み込み教育省の方2人とムアンシン、ムアンロンの寄宿学校へ学用品、生活用品を届けに行きました。
ルアンナムターからムアンシンまでは1時間半の道のり。あちらでムアンシンの教育委員会の方も加わり12時ごろにムアンシントンマイ寄宿学校へ到着しまし た。まず先生たちに教える時に何が必要か、また生徒は何を必要としているか、前に届けたものは役に立っていて今も大事に使われているかなど色々話し合い、 学校を見て回りました。以前は37名だった生徒が今は145名!!建物はフル活用されるようになっていました。問題は何人かの生徒はベッドがなくコンク リートの床に布団を敷いて寝ていました。これから寒くなるのでああ、布団を今回は持ってくればよかったと後悔・・・来てみて気づくことが沢山ありました。 キッチン用品も生徒の増加に応じて増やさないといけません。
今回はフリースジャケット、ノート、鉛筆、本を中心に届けてきました。
先生方は私たちを大変歓迎してくださり、私たちの幸せと健康を祈るラオスの大切なセレモニー「バーシー」を行ってくれました。本当にその温かい心に感激 し、「バーシー」の間、心は感激で震えていました。このセレモニーではお膳に鳥(チキン)、もち米、お花、ろうそく、そして細い白い糸が乗っています。そ れをみんなで囲み右手でさわり、一人が祈りをささげます。そして何人かが健康や幸せ、成功を祈りながらもち米と鶏肉を「バーシー」される本人に渡していき ます。される側はそれを食べ、ラオスのお酒ラオラオを飲み(2杯?)その後みんな健康や幸せを祈りながらその本人に白い糸を巻いていきます。その糸が多い ほど良いのだそうです。
本来3日間はつけたままにしておくそうですが、私は日本でサポートしてくれている連れの事もみんなが祈ってくれたのでそのままで日本へ帰って欲しいそうなのでそうすることにしました。
その後みんなで食事となったのですが、あの強ーーーーーいお酒ラオラオはつき物で・・・断っても2杯は飲まされました・・・ラオラオ(約50度)4杯はつらいものがあります。
その後急いでムアンロン寄宿学校へ。ムアンシン~ムアンロンは約2時間。運転してくれている友人には申し訳ないのですがラオラオでダウン・・・その2時間は寝せてもらいました。
約4時ごろムアンロンにつき、先生たちと色々話し合い、学校の様子を見学。この学校には140人の生徒がいるのですが、ドミトリーの数が足りないので50 人が学校で寝泊りし、他は近くの親戚の家に止めてもらっているそうです。貧しい家の生徒が多いということで、村に一回帰ると学校に帰ってこないことが多い のが大きな問題です。また、自分たちで作った竹のドミトリーはもう壊れかけていて、風が吹き抜けていました。私たちはまだ個人の費用しかないのでそこまで 行き着かないのがつらいところです。
今回は毛布を足りない分補充、蚊帳、キッチン用品、フリースジャケット、ノート、鉛筆、ボール、その他学用品、本などを届けました。
生徒たちに通訳してもらいながら以前より話ができました。もっとラオス語が上手になりたいなあ。
その後夕食と先生たちととり、ビールが出てきて、またアルコールかあ・・・と思いつつも断われず。
その後、友人宅に招待され、またビールとつまみを用意してくれました。しかも、つまみは竹に住んでいる芋虫の炒めたもの・・・。私は肉を食べないのです が、今回「バーシー」の儀式ではみんなの心がこもった儀式なので、鶏肉を食べ、芋虫は私のために高価なのに用意してくれたので、芋虫も食べました・・・。 さすがに4つ食べて、「食べなれていないから、沢山は食べられないよ。」とギブアップ。
美味しいといえば美味しいのですが、やはり芋虫は食べるのがつらいです。
そんなアルコールと食べ物とみんなのもてなしにどっぷりつかり、またラオスの心の広さを感じました。
夜中やっとルアンナムターに帰り着き、その夜はノックアウト・・・ベッドで泥のように眠りました。

ルアンナムターに着きました

2006/12/6
さて、昨日ビエンチャンから初のラオスエアラインに乗ってウドムサイに行きました。本当はバスのほうが断然安いのですが、今回は時間が無いため泣く泣く飛行機を使うことに。
小さい飛行機と聞いていたのですが、やはりかわいらしい飛行機でしたよ。飛行機からの景色は緑に輝く山や丘、そして湖、川が見下ろせてすばらしいものでした。
ウドムサイへは40分の飛行時間。飛行場からバス停へトゥクトゥクで行きました。
しかしルアンナムターへのバスがちょうど出るところだったのですがすでに満員で乗れず、後のバスへと言われてがっかり。
次のバスに回されたのは2人だけ、ラオスのバスは人がそれなりに居ないと発車しないので、人が集まらない場合キャンセルになるのです。ルアンナムターに今 日中に行けないかも・・・とがっかりしていました。が、ラッキーなことに4時半ごろ5人ほど乗車してきて、やっと出発!9時ごろルアンナムターに着きまし た。
今日は朝から教育省を訪れ、3つの寄宿学校の様子、必要なものを話し合いました。今回は主に教科書を買いたかったのですが、それよりも先生が教えるための Teacher’s Guideとムアンロンの学校にフリースジャケット、台所用品、毛布などが必要だと言うことでした。
ムアンロン寄宿学校には中学校70名、高校70名いるのですがそのうち111名が貧しい村からです。
教育省の人いわく、「今度の期末試験の後生徒は村に戻るけど、貧しい村の子達が休み明けに何人戻ってくるかは分からない。ドロップアウトする子が多いと思う。」だそうです。
学校で過ごすための暖かい服や毛布、蚊帳などは自分で用意しなくてはならないので、それが出来ない子供たちは、勉強したくても村で過ごす事を選ぶそうです。また、働き手として残ってもらうことを望む両親も居るようです。なかなか難しいところです。
少しでも快適に学校で過ごせるように、もっともっと力になりたいのですが少しずつしか出来ない自分たちにもどかしさを感じます。

ビエンチャンに着きました

2006/12/3
今日の12時ごろビエンチャンに着きました。
ウトウトと席で寝ていると「ノンカーイに着いたよ」と起こされ恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら久々のノンカーイ。トゥクトゥク(モーター三輪車30B ちょっと払いすぎたかな・・・。)に乗って出国口まで行きそこから国境を結ぶバスに乗って国境の橋を渡ります。そこから車線が左から右になるんですよ。そ して14日間のビザを国境で取り(1300B=3900円ちょっと高いね。)入国!
でも、ビエンチャン市内はここから2,30分のところにあるのです。またトゥクトゥクにのって(100B)
ゲストハウスまで来ました。
6ヶ月ぶりなので道がきれいになっていたり、新しい建物や前あったものがなくなっていたりと結構色々かわっていてびっくり・・・。
今日は日曜なので両替は無理、明日両替をと思っていたら土曜日がラオスの国民休日で、月曜まで休み・・・!!そんなあ・・・。当座すごせるだけのラオスのお金は持ってきていてよかった。
さて、風邪のほうはのどが痛い・・・。熱が出る前に治したいなあ・・・。
でもまだ元気です。安心してください。
さて、これから昼ごはんでも食べに行ってきます。ヌードルにしようかな。のど痛いし。

さていよいよノンカーイへ

2006/12/2
タイに来てから12時ごろには疲れて寝て、9時には目が覚めるので日本にいるときも健康な生活を送っています。

朝から朝ごはんをどこで食べようかとブラブラしていたら、タイ風焼き飯屋さんがあってそこに決めました。お肉を入れないでくださいねと頼んだのですが、ご飯にはお肉が混ざっていてがっかり・・・。
でのなんとなく代えてもらうのも面倒で、1つ1つ除いて食べました・・・。
それにしても地元の屋台や、食堂は安いですね。
お昼はお肉が入る心配がないベジタリアンタイレストランに行きましたが、高い!!
高いといっても、べジソーセージ、ヌードル、生姜茶で125バーツ(380円)なんだけど、屋台でお粥、玉子焼き、青菜炒めで25バーツ(75円)と考えるとねえ・・・。
地元の食堂、屋台は当たりはずれがあるけど、おいしいところはほんとーーーにおいしくて癖になります。作り方を覚えて日本でタイ・ラオスフードパーティーしたいですね。

さて、今夜8:45の夜行列車でバンコクからタイの国境の町ノンカーイへ向かいます。
明日の朝9時過ぎにはつくので明日の昼ごろはもう首都のビエンチャンです。
ビエンチャンの友達に会うのが楽しみです!
少々のどが痛いのでこれから本格的な風にならないように気をつけたいと思います。
よい風邪対策があったらおしえてください。

永いこと書いていませんでしたが。。。

2006/12/1
さて、久しぶりにバンコクへやってきました。
空港がきれいになるとは聞いていたけれどもこんなに大きいとは!!
15分ほど歩いてやっと入国審査口につきました。
新しい空港がどこに位置するのかよくわかっていず、タクシーに乗るのもどれぐらいかかるか不安で、バスでカオサンへ。ちょうどラッシュと重なって立ちっぱなしで2時間強かかりました。ふーーー。
バンコクは今、33度。出国の日は日本は11度だったので結構な温度差ですね。
でも、夜は涼しくてこのくらいならへっちゃらです。
暑さよりも、ルアンナムターがどれだけ寒いのかが不安です。
さて明日いよいよタイとラオスの国境のノンカーイへ夜行列車で向かいます。
ラオス恋しかった私は明日が待ちきれません。うれしいなあ。

危ない??ロケット祭り

2006/5/14
5、6月雨季の始まりにラオス各地で行われるお祭り、ロケット祭り。
私たちはこのロケット祭りにちょうどバンビエンでぶつかりました。
それぞれのチームごとに手作りの竹製ロケットを飛ばしその飛行距離を競い合います。
ロケットをセットする竹製ロケットランチは3m、5mと2種類ありそれにハシゴのように登りロケットをくくりつけ火をつけます。
その様子は大変危なっかしく、ハラハラドキドキ・・・
時にはロケットはうまく上がらずそこで爆発するものもあります。
近くに行くにつれその迫力は音とともに大きくなっていきます。
ロケットをセットする人も、朝からのラオラーオとビールで酔っ払っていて手元がどうも危なっかしく、あのロケットのくくり方はあやしいなあ・・・と思っていたところへそのロケットが火を噴きながら私たちの元へ!!
うわぁーーーっと危うく飛びのきながらも左の足薬指を負傷(といってもちょっと当たった程度)。ふと振り返ると、うう・・・と唸る連れの声・・・よく見てみると左脚のくるぶしの下から血が。どうもまともにロケットが当たったようです。
ロケットをよく見てみると先は破裂し鋭くとがりこれがお腹に飛んできたらと思うとぞっとしました。
しかしそんなことも結構あるのでしょう。ロケット祭りはそんなことはもちろん一切関係なく続きます。
GHに帰って気づいたのですが、ロケットは連れのサンダルストラップに当たっていたようで、後からだんだんくるぶし辺りが腫れてきました。もしサンダルがなかったら、足にロケットが食い込んでいたかも・・・少しの打撲ですんで、ラッキー。
迫力があり、楽しいお祭りですが、ロケットがどこに行くか気をつけて見ましょうね。

本を運びます

2006/5/12
さて、今回もビエンチャンにあるNGO団体「Action with Lao Children ラオスの子供」を訪れ、ノンキャウの小学校、中学校へ持っていく約20冊の本と6冊の紙芝居を購入しました。
いつもながら大変協力的で最近発行された新しい本も中には含まれています。
このNGOは以前も書いたようにラオスの学校に図書館を整えたり、本を配ったりしています。ラオスの格県の教育省、学校からリクエストがあった場合はそこにあった本を選び無料で本を渡しています。
しかしルアンナムターなど遠い県の場合誰が運ぶかが問題になるようです。
今回はルアンナムターの教育省に連絡しリクエストをALCにしてもらうようお願いしたところルアンナムターの教育省からすぐに本のリクエストがあったようなので来週その本をピックアップしルアンナムターへ向かいます。
ビエンチャンを通るたびに何処かへ本を運ぶ手伝いができればいいなあと思っています。

緑色包囲

2006/5/8
今日インターネット上で興味深い映画を見つけました。見た方は感想聞かせてください。

映画の名前:「緑色包囲」

内容:映画の舞台、新郷市(河南省)は、そんな中国で使用される乾電池の7分の1を生産している。
そこで電池の卸売商を営む中年女性、田桂栄さんは「使用済み電池は、環境に悪影響を及ぼす」という新聞記事を目にし仕事に励んでいた彼女は困惑する。そこ からたった一人の環境保護運動、古電池回収が始まる。数年後、ため込んだ電池で、室内も庭も狭くなる。人々の理解を得られず悩みながらも、彼女は活動を止 めない。そして数年後アメリカの新聞に取り上げられやっとNGOなどの協力を得られるようになる。この映画は、中国の若手監督、張克明氏の作品で第11回 (2003年)地球環境映像祭で「アースビジョン大賞」を受賞したそうです。

再びビエンチャン

2006/5/7
さて、今日やっとビエンチャンに戻ってきました。今回は私たちの資金もそこをついてきたので大きなことは出来ませんが、先に向けての下調べをさらに進めるべくラオスにやってきました。
色々やることはあるのですがどこから手をつけていいのやら・・・。

インド5

2006/5/7
さて。最後の目的地チョプタに向けリシケシを出発しました。直行便というのはないのでウキマス(リシケシから7時間)までバスで向かい1泊し次の日朝7時 のバスで5時間ほど揺られチョプタに着きました。ここは標高3000mほどの村で村人は20人ほどの小さな村です。ここからは雪を被ったヒマラヤ山脈を見 渡すことが出来ます。ここに3泊ほどしたのですが、インドとは言ってもヒマラヤの近く。暑いリシケシから来た私たちには非常に寒く、夜は毛布を4枚ほど体 に巻きつけないと寝れませんでした。シャワー用の暑いお湯もバケツで持ってきてもらってもその後が寒い寒い・・・この寒さにやられ一晩熱にうなされまし た。しかしそれでもここは私のお気に入りの場所です。
チョプタの村の入り口にヒマラヤが見渡せるお気に入りのチャイショップがあります。ここのお兄さんはとっても心が温かい人でそこでのんびりと山を眺めるだけでもここに来てよかったと思わせてくれます。
チョプタに行く方是非寄ってみてください。チョプタの最初のチャイショップです。
2日目に私たちはチョプタの山にあるお寺まで約8Kmのトレッキングに向かいました。トレッキング道はすべて石瓦で作ってありトレッキングといっても大変 簡単です。しかし標高が高くなるにつれ少々息苦しくなることで3000m以上の山にいることを感じます。ヒマラヤ山脈や高山植物を眺めながらのトレッキン グは良いものですよ。頂上近くにはまだ雪が残っておりヒンヤリとトレッキングで火照った体を冷やしてくれます。少々寒くなってきたところでお寺の近くの唯 一のチャイショップでチャイを飲み体を暖めました。少々雲行きが怪しくなってきたのでちょっと急いで下山。
無事麓に着きお気に入りのチャイショップに再び向かい火の回りに座ったとたん激しい風とヒョウが降り始めました。下山途中で5人のインド人と会ったのですが彼らはジャケットも着ておらず、ビーチサンダルを履いていたのですが大丈夫だったかなあ・・・。
この周りには温泉もあるということでもう少し見て回りたかったのですがヒマラヤトレッキングの準備を十分して再び来ることにし、今回は3日でチョプタを去りました。
さて後は飛行機でバンコクに戻るためムンバイへ戻り1泊だけし楽しかったインドにお別れを言いました。
全体を通して気を張っていなくてはいけないところがあるのでインド旅行は少々疲れますが、大変癖になる場所です。今度はブッダガヤやダージリンに行ってみたいなあ。

インド4

2006/5/5
首都デリーは大きい都市なのでさぞかしざわざわしているだろうと思っていましたが予想に反し美しく、快適な町でした。中規模都市との違いはオートリク シャーがディーゼルではなくガソリンを使っているところです。以前は空気汚染がかなり問題だったようですがそれによって改善されたようです。デリーのマー ケットにはかわいい物が沢山あふれています。日本人のバイヤーもよく見かけました。アジアン雑貨好きの人にはたまらないものばかりですよ。私も余裕があれ ば色々と購入できたんだけど・・・それは次回の楽しみにとっておきます。
ニューデリーから列車で次の目的リシケシへ。リシケシへはハリドワールでバスに乗り換え40分程のところにあります。リシケシはヒンドゥー教の聖地のひと つ、ヨガアシュラムがあることで有名なところで、色々な国からヨガや瞑想をしに人々が集まっています。ここは美しいガンジー川に沿った静かでのんびりした 町です。道端にはBABAと言われるヒンドゥー教の世捨て人たちが座っています。何人かのBABAと仲良くなり色々話を聞かせてもらったところ、BABA の基本の持ち物は1枚のブランケット、1つのバッグ、そして頭に巻く布だけだそうです。この頭に巻く布(ターバン?)はBABAは家など所属するものがな いので道端で息を引き取ったときそれを見つけてくれた人がその亡骸をそのターバンを掛け隠してくれるように頭に巻いているそうです。彼らの生活は自然の中 で朝日の出とともに起きヨガ、瞑想をし鳥の声を聞き、マントラを唱え、ガンジー川で沐浴をしと何もかもがゆっくりと穏やかに過ぎていきます。ああ、そんな 生き方もあるのだなあと気づかされました。
私たちはGHに滞在し、朝と夕方のヨガに参加しほかの時間はピクニックをしたり散歩をしたりゆったりとした時間を楽しみました。
そうそうリシケシではラフティングも楽しめますよ!私たちは18Kmコースに参加しました。朝9時に上流を出発します。周りは自然公園でキングフィッ シャー(かわせみ)や白鷺、ブラックモンキーなどをラフトを漕ぎながら眺めることができます。途中2、3の大きな急流があり振り落とされそうになりながら も必死につかまっていました。いくつかのスポットでは冷たいガンジーで泳ぐことができボディーサーフィンも楽しめます。そして4,5mの岩から飛び込んだ りなかなかスリリングで大変楽しむことができました。これはお勧めです。
リシケシでののんびり生活は快適でここを去るのはつらかったのですが、タイに戻る前にどうしてもヒマラヤ方面へ行きたかった私たちは重いお尻をたたいて一路Mt.チョプタへ向かいました。さて、インド旅行も最後に近づいています。

インド3

2006/4/27
ゴアから深夜バスでムンバイへそこから夜行列車でいっきにラジャスターン地方のジョードプールへ。車内はラジャスターン地方に近づくにつれ、金色のリボン で縁取られた目も覚めるような鮮やかなサリーや美しい金の装飾品で着飾った女性と、色とりどりのターバンと立派なヒゲの男性でにぎやかになっていきます。 まるで違う国に来たような感覚にとらわれました。ジョードプールへは「青色の町」で有名なところです。ここにはインド最後のマハラジャがすんでいる白い宮 殿があります。まるでアリババの世界です。とても美しい大きい宮殿で今は一部をホテルとしているようです。しかし、いまだにマハラジャがいるとは・・・ど のような生活をしているのでしょうか?
そしてここの大きな観光ポイントはなんと言ってもメレヘンガル城壁(名前が違うかも)です。これはマハラジャの所有地で今も戴冠式や大きなマハラジャのイ ベントが行われる重要な場所らしいのですが普通は観光客に解放されています。エントランスで各国語のオーディオガイドを受け取りツアーは始まります。 チェックポイント番号ごとにボタンを押しそこの説明を聞くことが出来ます。ラジャスターンスタイルの建築、窓飾りなどは美しく、美しい部屋からはマハラ ジャそしてそれを囲む多くの女性たちの生活がうかがえます。そしてその城壁の上階からは美しく青く光る町並みが一望できます。以前は僧侶階級のカーストの 人々が青く家を塗っていたということです。
オーディオガイド(日本語)も分かりやすく大変見ごたえがあり、私はとても気に入りました。
私たちのGHも大変快適で、少々ここに立ち止まり、次は首都デリーへ。

インド2

2006/4/25
さて。カリケリ(カルナータカ州のダラワードからバスで30分ほど行ったところにある小さな村)にはカナダ人の設立したNGOの音楽学校があります。アン タッチャブル(不可触)のカーストやスラム出身の子供たちがここに寝泊りしインドの伝統的な音楽と基本的な教育を受けています。カナダでは結構有名でプロ の音楽家によってチャリティーコンサートがカナダ各地で行われその資金を元に運営されています。
朝、日の出とともに起きヨガに始まり歌、タブラー、シッタール、ダンスなどを午前中に勉強し、午後はヒンディー、カンナラ(カルナータカの言葉)、数学、 英語などを学びます。そのほかの時間も子供たちはそれぞれ自習に励み、学校は始終美しい子供の歌声と楽器、笑い声でにぎやかです。
私たちは、時間がなく1週間しか滞在できませんでしたがとてもユニークな経験をさせてもらいました。
今、5歳から15歳の子供が84名ここで教育を受けていますが、この子達が大人になったときカーストに負けず強く自分の力で生きていってくれることを心から願っています。
かわいい子供達の目にお別れを言うのがつらくこっそりとサヨナラも言わずカリケリを経ちました。
そしてビーチとココナッツの木々輝くゴアへ。ゴアには色々なビーチがありどこがいいのかよくわからずとりあえずアンジュ-ナビーチへ。もうハイシーズンは 過ぎていたので人は少なく、クレイジー&パーティーで有名なゴアとは違いのんびりできました。ここでは何をするでもなくビーチで本を読み、水浴びをし、昼 寝をしとぐうたらな時間を楽しみました。
そのゴアで私たちは「ホーリー」というインドのお祭り(祭日)に出くわしました。この日はみんな狂ったように赤や黄色や緑、色とりどりの粉をお互いにかけまわります。若い人たちは朝からお酒で酔っ払い
あたりかまわず粉をかけて回っています。インドでは特に男の人に触られることがいやだった私(人によっては胸などを思いっきり触ってくる人がいるんです。 多分、性的なものが抑圧されすぎていてそのはけ口が外人旅行者に回ってくるんでは?)はその酔っ払いたちから逃げ回っていました。
友人は前も後ろも赤や黄色に染まり、タンクトップを着ていた彼女はやはり胸を思いっきりもまれたと憤慨していました。
ビデオクリップや雑誌などとてもセクシーなのが多いのですが現実は多くの女性がサリーやチュリダでほとんどの肌を隠しています。結婚をするまでにお付き合いやそれ以上などという人は少数派でそういうところで歪がでてくるのかな・・・?  触られるのはほんとにやです。

インド1 ケララ州

2006/4/24
長いことブログを書いていないので何から書いてよいのか・・・。
今、再びバンコクにいます。今まで約3ヶ月ほどインドを周ってきました。
バンコクからバンガロールというITタウンに飛び、友人のホームステイ先のケララ州へ。
バンガロールはひどく忙しい町で初めてのインドということもありかなり戸惑っていましたが、ココナッツの木の茂るケララ州はとても美しく「ああ、インドもいいねえ」となかなか良い印象で始まりました。
友人はケララである祭事の研究をしています。その子のホームステイ先に私たちも泊めていただき本当のインドの生活、村を見ることができました。みんな好奇 心一杯で、歩くたびにいろいろな人から「どこから来たの?名前は?」と聞かれます。村の人々はみんな知り合いなのである家に外人が来たとうわさになってい たようです。ホストファミリーはみんな温かく、とても親切ですばらしいもてなしをしてもらいました。朝のチャイに始まり、おいしいボリュームたっぷりの朝 ごはん、昼前のチャイタイム(あまーいお菓子とチャイ)、再びボリュームたっぷりの昼食、夕方のチャイタイム(あまーいお菓子とチャイ)、そしてボリュー ムたっぷりの夕食。と3日間食べ続け・・・3Kgほど太ってしまいました。素敵なホストファミリーに髪を引かれつつ別れを告げ、コーチンへ。コーチンでは 「カタカリ」という南インドの独特の踊りを見に行きました。歌舞伎に似ているということで有名ですが、確かに誇大表現された髭や衣装、脚の動きや幕の使い 方など面白いところに共通点がありとても興味深かったです。目の動きがとても奇妙で独特。まるでおもちゃのように目をくるくると動かして踊ります。不思議 な踊りでした。
そこから、テカディ(バードサンクチュアリー、大きな湖のほとりで何百もの美しい鳥を見ることができます)、コータヤム(48頭のトラが生息する自然保護区)で自然を堪能し、ポンデシェリーへ。
ここにはオーロビルというエコタウンがあると聞き非常に期待して行きました。
しかしオラビリアン(オーロビルに住んでいる人たちはそう自分たちを呼ぶようです)は閉鎖的な感じがし、またいろいろと値段も高くとても長く滞在して何か を学ぶといった感じではなくてがっかりでした。知り合いでもいればいいのでしょうが・・・。インドの社会と共存していけているのでしょうか??
そこから、カリケリにある音楽学校へ。さてこのつづきは、また。

India

2006/2/24
I did't write long time. It's quite hard to find the internet cafe where I can use Japanese in India, especially in the country side.

I'v been in India 2 weeks and I really like this place so far.
This country is full of colors and beautuful stuff.
Also I got a lot of cultur shock too...

We left Tekkady this afternoon and now we are in Madrai.
Tekkady is hillplace and there are protected nature park.

In the nature park you can get on a boat and can see a lot of wild animals as deer, wild pigs, water baffaros and elephants and also if you are lucky (or unlucky?) you can see tigers as well. There are wonderful birs too! I saw a beautiful kingfisher and blue birds.( There are 2 kinds of boat,but I recomend cheep one 15R(45yen) cus it's same view!!)
It costs 300R(900yen) for entrance but when you go there you must go this park then enjoy nice air and wild animals(I mean if you like animals).

再びタイ

2006/1/14
さてさて、今私はバンコクにいます。
シムリップから13時間ミニバスにガタゴト揺られ、バンコクにつきました。
シムリップからカンボジア側の国境までは土の道でかなりボコボコ。私は酔止めの薬を飲んでいたのでそんな道でも泥のように眠っていました。カンボジア側で 出国手続きを済ませ、タイ側に歩いていく2・30メートル間にはいくつものカジノが建っています。カンボジアでもなくタイでもないその場所はタイのお金持 ちのギャンブル場のようです。
さて、タイに入国するとタイのモダンさと経済のよさをまず感じました。道はきれいに整備され、コンビニエンスストアが立ち並び、キティーやドラえもんのついたVIPバスがビュンビュン走っています。
バンコクに着くと、もうそこは大都市です。女の子はホットパンツをはき、こってりとお化粧をしています。TVではセクシーな女の子がくねくねと踊っています。
ラオスはホットパンツなんてっ!はしたない!!というところなのでそこに馴れてしまっていたのでなんとなくそんな女の子の姿にわかっていながらもドギマギしてしまいました。
タイの女の子は、日本人の女の子のようです。雑誌やTVのファッションチェックに忙しいようで、おしゃれな子が多いです。
街で女の子たちのファッションチェックをするのもなかなか面白いですよ。

アンコールワット

2006/1/1
明けましておめでとうございます。2005年も無事終わり新しい年2006年がやってきました!
私たちはアンコールワットのあるシムリアップにいます。
今日は初日の出をアンコールワットから見るために珍しく朝早く起き、連れをたたき起こしバイクタクシーに乗り込みました。
アンコールワットへバイクで走る向こうには平坦なカンボジアの大地を朝焼けがオレンジ&紫に染めています。
もう日が昇るというぎりぎりにアンコールワットに着きそこから日の出を眺め、今年の旅の安全をお願いしました。金色の太陽がアンコールワットを染める様子は幻想的で、忘れられない映像を私の中に残してくれました。
ワットの中はまた後日ゆっくり見ることにし、朝食をとり、昼寝(朝寝)のためにGHへ戻りました。
そして次は、夕日を観にアンコールワットの近くの丘へ。
結構急な坂と階段をを上ると何百もの人々が夕日を待ち構えていてびっくりしました。みんな考えることは同じですね。雲が結構あったのですがその間にオレンジに光る夕日と雲は最高に美しかったです。
今日はアンコールワットの中を少しと、バイヨン寺院を少し見ただけでしたがそれだけでも美しいクメールの彫刻と建築物に圧倒され、これから始まるアンコール探検に興奮しています。
ネットカフェでちゃんと写真をアップロードできればその様子を伝えられるのですが・・・。

プノンペン

2005/12/30
さて、今私はカンボジアの首都プノンペンにいます。
カンボジアは危ない場所かと少々心配していましたが、心配しすぎる必要はありませんでした。
私の連れは4年前にここに来たことがあるのですが、町も様変わりし、人々は以前よりもハッピーだと驚いていました。
プノンペンの町は予想よりもかなり大きく、経済成長している様子がうかがえます。しかし確かに貧富の差は大きく大きな豪邸が並ぶ所もあれば、小さな木造の小屋が所狭しと並んでいる場所もあります。
昨日は「Killing Feilds」(Kmer Rouge の時代に多くの人が殺され、その遺骨、洋服ともに葬られているパゴダ)に行ってきました。うずたかく盛られた人の骸骨・・・。とてもとても悲しい切ない場 所でした。そこでそれを直視できなくなった私は近くのベンチに座っていたのですが、10人程の子供がやってきて歌を歌い始めました。1曲2曲次々と続く歌 に後からお金をせがまれるのを知りながらも子供たちの生きる力、ポジティブさに心明るくしてもらいました。
お金をせがむことは彼らの生きるすべのひとつなのでしょうが、お金を渡すことはしないと決めているのでお金の代わりに日本の歌を何曲か歌いその場を去りました。
たった8年前まではみんなが恐怖におびえていた町は人々の生きるエネルギーともっとよい社会にと突き進むポジティブさに溢れた町になっています。
これからの成長が楽しみです

シーパンドン

2005/12/28
クリスマス休暇は南の暖かいところへとパクセーからバス、船を乗り継いでシーパンドンへ。
メコンに浮かぶ島々はとても静かでのんびりしています。
私達は小さな川沿いのバンガロー「Mr.NOI's Bngalow」に宿泊。主人のノイさんはフレンドリーで、まだ結婚して2ヶ月のかわいい奥さんと2人で経営しています。トイレ、シャワーも清潔、奥さんのご飯もおいしく、何よりのんびりできます。
そこで会った人たちとクリスマスはキャンドルを灯し、バンガローでのんびり、星を見たり、話をしたりしてすごしました。パーティーや買い物で忙しいクリスマスとはまったく正反対のクリスマス。
美しいクリスマスでした。
次の日は、やはりここに来たからにはピンクイルカを見なければと、Mrノイにイルカツアーに連れて行ってもらいました。
まずは東南アジアで一番大きいといわれる滝へ。悠々と流れる雄大で穏やかなメコンしか見たことがなかった私は、荒々しいまったく違う顔のメコンの滝に圧倒されました。
茶色い水しぶきを上げ、岩にぶつかりながら流れ落ちる荒々しいメコン。そしてまたゆっくりと他の国へ。
そして次に船に乗り込みイルカウォッチングへ。緑に囲まれた島々をみながらの穏やかなメコンクルーズは最高です。小さな岩の島へ船を着けそこでイルカが来 るのを待ちました。すぐに2、3頭姿を現しました。少々遠くですがそれなりに見れます。色はピンクイルカといいますが黒に近いグレーで、大きさは普通のイ ルカより小さく見えました。あちらこちらに何頭づつか現れ私たち観光客を楽しませてくれました。イルカは頭がいいのできっと「ああ、また観光客だ。楽しま せてやるか。」といった感じなのでしょうか。見れないときもあるようなので、見れてよかった。
行きにトゥクトゥクが火を噴いたり、帰りにパンクをしたりとなかなかアドベンチャーな旅でしたが、楽しいツアーでした。
このツアー以外は何をするともなくただメコンを眺めのんびりしていました。のんびりするには一番の場所ではないでしょうか。私のお気に入り1番です。

パクセー

2005/12/23
さて、今私はビエンチャンにいます。
これから少々クリスマス&正月バケーション及び友人に会うためにラオスの南部、カンボジア、タイ、インドへ行くことにしました。
まずはカンボジア大使館にてビザ(20US$。ドルだけの受付でした)を準備しこれからの旅に備えました。
パクセーへはナイトバスで移動予定です。12時間の長旅・・・。最近移動が多いので少々移動疲れぎみですが、寒い北部を抜け出して暖かい場所、新しい場所へ行く興奮が疲れに勝っています。楽しみです。
パクセーには淡水に住むピンクのイルカが住むそうです。見れるといいなあ。

再びノンキャウへ

2005/12/23
ビエンチャンへ帰る途中に再びノンキャウへ。
廃乾電池回収コンテナーを置いた高校を訪れてみると更に3キロほどの乾電池が増えていました。以前は壊れた乾電池や燃やされたものも混ざっていたのですが 今回はきれいなものがほとんどで、この3キロが川に捨てられたり、燃やされたりすること無く生徒に回収され、保管されていたのがうれしい限りです。
そして町の店やゲストハウスに置いた小さい回収ボトルにも3、4個の電池が入っておりその度生徒が回収してくれているとの事でした。今回はあまり時間が無 かったので壊れたり汚い乾電池をコンテナーに移し空けられないようにボンドとテープで閉め保管し直し、きれいなものだけを集めてもらうようにし、本を何冊 か渡し学校を後にしました。
村の人々皆さん協力的で、このまま意識が高まってくれることを願っています。

寒いルアンナムター

2005/12/19
今、再びルアンナムターにいるのですが、寒い寒い。ラオスというと暑い国というイメージがあるのですが、北部はかなり冷え込みます。雪こそは降りませんが、昨夜は5度ぐらいだったのではないでしょうか?暖かい南が恋しいです。
ここルアンナムターで、以前書いた乾電池回収計画を引き続き行いたかったのですが、まだ最終工程(乾電池を集めた後にどう処理するか)が曖昧な状態なので計画自体再検討中です。
しかし、村によっては乾電池を開けその中の黒い粉をインク代わりに使ったり、タトゥーに使ったりしているという話を聞き、集めるのがまだでも、電池の危険性だけはまず先生、生徒、多くの人に早く知らせる必要があります。

さて、今回はまず最初にトンマイ少数民族寄宿学校(中、高校生の年齢)に本を数冊届けに行きました。。学校は以前よりもきれいに整備され、小さな菜園もで きていました。電気が早く来てくれればいいのですが・・・(電気を通すのに5、6万円かかるらしくまだ国からの支援がないそうです・・・)
前回訪れた際、生徒と一緒にごみ拾いをしプラスチックを燃やすと毒(ダイオキシン)が出ることや、電池には毒(水銀など)が入っていて燃やしたり、その辺 に捨てると危険なことを話しました。生徒たちはそれを覚えていてくれて、乾電池を一箇所に集めていてくれました。とても早い反応が嬉しいです。そこで市場 に行き廃乾電池用のプラスチックバケツ、トイレ用の水桶、井戸のバケツとロープ、増えた生徒用のジャケットや靴下などなどを買い込みトンマイ学校へ届けま した。これから学校や生徒が使った電池はここに集めてくれます。大きなバケツが一杯になるには2、3年ほどかかるのでそれまでには最終工程が決まっている はずです。

次にK44村の小学校に本、絵本を届けました。K44村には先月韓国のボランティアの方々が訪れ新しい学校を建設中です。

そして、ルアンナムターの少数民族寄宿学校に本を届けました。そこで、先生に電池を集める計画を話し、最終工程が決まり次第、協力をして欲しいと相談を持 ちかけました。先生たちは賛成してくれ、本と乾電池の交換のアイディアも気に入ってくれました。今回は毛布が足りないので毛布30を持っていったのです が、生徒数は238名。とても足りず、2日後再び訪れることを約束しその日は帰りました。
そして2日後、やはり2人だけで動いている私たちにはすべての毛布調達は無理なので暖かいマフラー、帽子と少しの毛布とを再び届けに。帰り際に先生が「生 徒に会いに行きましょう。」と先生が生徒のところへ私たちを連れて行ってくれました。先生が「タン ファイサーイ(?)」と叫ぶと生徒たちが次々と廃乾電 池を持ってくるではありませんか。あっという間に大きい袋は一杯になり私たちは多くの生徒たちに囲まれました。そこで電池の危険性、やっては危ないことを つたないラオス語ですが先生の協力を得ながら話をすることができました。この学校にも廃乾電池用バケツを届け学校を後にしました。
たった2日前に話をしただけなのにもうすでに10Kgの廃乾電池が集まりました。反応の速さに再び嬉しい驚きです。

確かに今やっていることは応急手当で、先はどうするの?みんながそれぞれ捨てれば少しだけど、一箇所に一杯集めて捨てるのはもっと危ないんじゃない?また2人だけでどこまでできる?という指摘は受けます。指摘はもっともです。
しかし最終オペをするまでに応急手当は必要だと思います。そして、みんなが川に捨て、燃やし続けるのは本当に一箇所の安全に管理された場所に集めるより危険なのでしょうか?
今はまだまだ2人だけで動いていますがこうやって多くの人が協力し理解していってくれれば、時間はかかりますが、システムはできるのではないでしょうか。

廃電池回収計画

2005/12/15
廃乾電池回収計画を試すためノンキャウを再び訪れました。
ここは小さな村なので村の人々の協力を得安いと考えたからです。
まず村長、ゲストハウス、町の人に回収ボトルのサンプルを見せ、私たちの計画を話しどう思うか聞いたところ「それはいいね。今は川に捨てたり燃やしたり道に捨てたりすることが多くて危ないからね。」と賛同してくれました。大変よい兆しです。
その後、中学校のを訪れ、先生に廃乾電池を子供の協力で集めたい。集めた乾電池を雨などで濡れない先生の管理下にある安全な場所で保管して欲しい。私たちが回収するとき廃乾電池と交換で教育資材、本、絵本を学校に届ける事を説明しました。
校長先生、先生ともに大変この計画を気に入ってくれ、すぐに生徒たちにこのことを伝え、学校に大きなバケツ1個、小さなバケツ3個。向かいの小学校に小さなバケツ2個置かせてくれました。
その夜、村長の家で開かれる会議に呼ばれそこで、乾電池の危険性、回収の流れ、教育資材、本を乾電池と交換することを詳しく村長、人々に説明し皆さん分かってくれ、協力を約束してくれました。
村の皆さん協力的で思ったよりことがスムーズに進みました。
村の人たちに廃乾電池を集めてます。廃乾電池を下さい!と言うとかなり驚いた顔をされます。
しかし、「乾電池は危ないので集めています。川に捨てると魚が毒を食べ、人間が魚を食べるでしょ。危ないですよね。」説明するとあーなるほどと納得してくれ、そこにいる人々で乾電池談義が始まりました。問題提起のよい機会になっているのではないでしょうか。
その後、ゲストハウス、店、バス停、交番に回収ボトルを置かせてもらい今回はノンキャウを後にしました。
また2週間後にうまく回っているか、どんな改善が必要か確認しに行く予定です。

協力的なNGO

2005/12/7
ラオスにもいろいろなNGOがあります。そこでも協力を依頼してすぐに返事を返してくれたのが「Action with Lao Children」です。
この団体はラオスの学校に図書館を作る手助けをしたり、日本語や英語などで書かれた絵本、本をラオス語に翻訳し学校に寄付したりしているグループです。
ラオスにはまだまだ本や絵本が足りず、本を読む機会が大変少ないために読んだり書いたりすることを大人になるにつれて忘れてしまうといった問題があるそうです。(詳しいことはALC「ラオスの子供」のHPを。)
ヴィエンチャンにはこのNGOのオフィス件図書室があり、そこを訪れさせてもらいました。
皆さんとてもやさしく協力的で、アドバイスをもらったり、絵本のストックを見せてもらったりさせてもらいました。
そしてこれから訪れる学校のために本を何冊か購入させてもらいました。
NGOによってはあまり相手にしてくれないところもあるので、こういったNGOの方々に会うととても安心します。ほんとうにありがとうございました。

美しい山間の町

2005/12/3
先日、スローボートでルアンパバーンまで下るためノンキヤウという山間の村を訪れました。川沿いに切り立った山々が美しくそびえる穏やかな素敵な村です。小さな村ですがバンガロー型ゲストハウスがいくつかあり、私たちも川沿いの素敵なバンガローに一泊しました。
そのバンガローは竹を組んで立てられており、扉、窓すべて天然素材でできています。ベッドには美しいシルクのカバーがかかっており、ランプシェードは土器 製、キャンドルライトで夜はライトアップできます。かなり気に入り、喜んでベッドに飛び乗ったところ・・・何だか変なにおいが・・・ん・・?
ふと左横を見てみるとそこには新しい猫のうん○が!!うわっ!っと飛び降り、管理人のお姉さんを呼びシーツやカバーなどなどすべて換えてもらいました。ふー・・・上に飛び乗らなくてよかった・・・
そんなことがあっても、いまだそのバンガローがお気に入り№1です。

そんな、ドキドキが起こるノンキャウですが、この村もほかの村同様ごみが普通に道に捨てられています。特に私たちが恐れているのは廃乾電池です。
ラオスではまだごみのシステムがあまり確立されておらず、道端、川にごみを捨てたり、何でも一緒に燃やしてしまいます。それが紙くずや自然に戻るものならいいのですが、乾電池やプラスティックもそのように扱われています。
しかもラオスで多く売られているのは安い乾電池。それにはいまだ水銀が使われており、すぐに使えなくなります(CDの1曲も聴けないことがあるそうです)。また、かなりもろく中のものがもれやすいので非常に危険です。
単1の水銀電池がもし土の上(中)で破れたら、1㎡を汚染しその利用価値は永久になくなります。また1つの小さなボタン電池は600トンの水を汚染するそうです。
そんな危険なものが豚や牛のえさの近く、水の中、また燃やされています。
怖いですよね。

今、私たちはその廃乾電池を子供たちの協力を得て集める計画を立てています。その処理は大変難しく費用も莫大にかかるのでコンクリートで廃乾電池を固めて コンクリートの建物に保管しようと思っています。まだ処理に関しては調査中、検討中ですので良い案をご存知の方はぜひ教えてください。
とりあえず手始めに廃乾電池を今月、来月から少しずつ集め回ります。
日本の電池は今は水銀ゼロですが、使用後の処理が難しいのは同じようです。私もそれを知って今までの電池の扱いに反省しています・・・どうしても乾電池がいるときは充電式乾電池がいいですね。

ありがとう

2005/11/30
先日、ルアンナムターからルアンパバーンへ移る時、バス停で日本人の女の子に会いました。
2ヶ月ほどアジアを旅をしているそうで、色々な話をし、私たちのしていることも少し話をしました。
もうすぐバスが出るということで、急いでさよならを言ってバスに乗り込もうとしたとき、「子供に教科書を買ってください」と50ドルを手渡してくれました。
もうバスが出てしまいます。お礼もそこそこにメールアドレスだけを渡して、バスに乗り込みバスからありがとうと手を振るしかありませんでした。
50ドルと言ったら大金です。15冊は裕に教科書が買えることでしょう!!
本当にありがとう。その温かい心がすごく励みになります。またあなたに会いたいです。

始めの一歩

2005/11/30

今、私たちは北の町ルアンナムターにいます。
しばらく、どこから手を付けていいか途方に暮れていたところ、ルアンパバーンの英語の先生がルアンナムターにあるEUサポートの教育課が手助けしてくれるだろうと、彼の友人を紹介してくれました。
早速、ルアンナムターへ移動しEUの教育課へ。EUの方々は皆さん協力的で、ルアンナムター州の教育省に後日連れて行ってくれました。そこで私たちの疑問 やプランについて話し、今の状況を聞き、彼らの勧めで2校の「少数民族のための寄宿学校」に連れて行ってもらいました。(嬉しいことに車や通訳まで用意し てくれていました。)
その中のムアンシンにあるトンマイ校は今月開校したばかり。建物自体は以前、技術学校として使われていたそうですが、それが閉校してからは放っておかれていたらしく、生徒は学校の周り一体に伸びはびこった草をを自分たちの手で少しづつ刈っていました。
その学校の話を聞き、学校を見たときは少々ショックを受けました。
そこの生徒は皆、小さな少数民族の村の出身で、ほとんどの生徒が両親または片親がいないので個人的資金援助は全くありません。
また、新しい学校なので政府からの援助はほんの少しだけ。今は10度の寒い夜を薄い敷物と古い穴の開いた毛布で過ごしています。台所には何も無くがらんど うの小屋に石で小さな釜戸を作りそこでキャンプのように毎日生徒が交代で煮炊きしています。しかし政府から支給されるのは一人18キロ(1ヶ月)のお米の み。大抵の場合、毎日2食白いお米と醤油が食事ということでした。
これでは勉強に集中する所ではありません。
私たちは彼らが彼らの村々へ帰り、先生、(多くの村の人々はラオス語は分からないのでその民族の言葉を話す先生が必要。しかし今はまだまだ不足していてそ こに大きな問題がある。)農業のアドバイザー(村では情報を読める人が必要)、またプラスチックを燃やしたり、電池を川に棄てるのがどんなに危険か伝える 伝達者となってくれると考え、これらの学校からサポートを進めることにしました。
そこで教育省の協力でトラックを用意してもらい、敷布団、毛布、ジャケット、ノート、食物、台所用品などなど買い集め学校へ。(1台のトラックぱんぱんの品々、3万5千円程。)
まだまだ足りないものは山ほどありますが、少しは暖かい夜を過ごせるかと思います。
後日、学校を訪れ学校の周りに棄ててあるプラスチックと古い電池を生徒と拾い集めそれを燃やす危険性を話しをし、また訪れることを約束しムアンシンを後にしました。
これが私たちの第一歩です。続けることが重要です。これからはもっといろんな方の協力が必要になっていきます。特に資金の工面をどうしていくかがこれからの課題となっていくことでしょう。
このページを読んでくださった皆さんぜひぜひ意見やアドバイス、メッセージを聞かせてください。

ブログ開始

2005/11/30
今、ラオスに来ています。
ラオスへ来た一番の目的は、村々の学校(特に少数山岳民族)にノートや教科書などを届けることです。まだまだ始めたばかりの活動で分からないことだらけで すがが、ラオスのやさしい人々に励まされ、助けられながら少しずつ前に進んでいます。出来る限りこのブログで活動の様子や美しいラオスの様子をお伝えして いきたいと思います。