2008年2月10日日曜日

始めの一歩

2005/11/30

今、私たちは北の町ルアンナムターにいます。
しばらく、どこから手を付けていいか途方に暮れていたところ、ルアンパバーンの英語の先生がルアンナムターにあるEUサポートの教育課が手助けしてくれるだろうと、彼の友人を紹介してくれました。
早速、ルアンナムターへ移動しEUの教育課へ。EUの方々は皆さん協力的で、ルアンナムター州の教育省に後日連れて行ってくれました。そこで私たちの疑問 やプランについて話し、今の状況を聞き、彼らの勧めで2校の「少数民族のための寄宿学校」に連れて行ってもらいました。(嬉しいことに車や通訳まで用意し てくれていました。)
その中のムアンシンにあるトンマイ校は今月開校したばかり。建物自体は以前、技術学校として使われていたそうですが、それが閉校してからは放っておかれていたらしく、生徒は学校の周り一体に伸びはびこった草をを自分たちの手で少しづつ刈っていました。
その学校の話を聞き、学校を見たときは少々ショックを受けました。
そこの生徒は皆、小さな少数民族の村の出身で、ほとんどの生徒が両親または片親がいないので個人的資金援助は全くありません。
また、新しい学校なので政府からの援助はほんの少しだけ。今は10度の寒い夜を薄い敷物と古い穴の開いた毛布で過ごしています。台所には何も無くがらんど うの小屋に石で小さな釜戸を作りそこでキャンプのように毎日生徒が交代で煮炊きしています。しかし政府から支給されるのは一人18キロ(1ヶ月)のお米の み。大抵の場合、毎日2食白いお米と醤油が食事ということでした。
これでは勉強に集中する所ではありません。
私たちは彼らが彼らの村々へ帰り、先生、(多くの村の人々はラオス語は分からないのでその民族の言葉を話す先生が必要。しかし今はまだまだ不足していてそ こに大きな問題がある。)農業のアドバイザー(村では情報を読める人が必要)、またプラスチックを燃やしたり、電池を川に棄てるのがどんなに危険か伝える 伝達者となってくれると考え、これらの学校からサポートを進めることにしました。
そこで教育省の協力でトラックを用意してもらい、敷布団、毛布、ジャケット、ノート、食物、台所用品などなど買い集め学校へ。(1台のトラックぱんぱんの品々、3万5千円程。)
まだまだ足りないものは山ほどありますが、少しは暖かい夜を過ごせるかと思います。
後日、学校を訪れ学校の周りに棄ててあるプラスチックと古い電池を生徒と拾い集めそれを燃やす危険性を話しをし、また訪れることを約束しムアンシンを後にしました。
これが私たちの第一歩です。続けることが重要です。これからはもっといろんな方の協力が必要になっていきます。特に資金の工面をどうしていくかがこれからの課題となっていくことでしょう。
このページを読んでくださった皆さんぜひぜひ意見やアドバイス、メッセージを聞かせてください。

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