2008年2月10日日曜日

ムアンシン・ムアンロンの寄宿学校

2006/12/10
12月8日、朝8時にマーケットに行き前の日に頼んでおいた毛布、フリースジャケットを車に積み込み教育省の方2人とムアンシン、ムアンロンの寄宿学校へ学用品、生活用品を届けに行きました。
ルアンナムターからムアンシンまでは1時間半の道のり。あちらでムアンシンの教育委員会の方も加わり12時ごろにムアンシントンマイ寄宿学校へ到着しまし た。まず先生たちに教える時に何が必要か、また生徒は何を必要としているか、前に届けたものは役に立っていて今も大事に使われているかなど色々話し合い、 学校を見て回りました。以前は37名だった生徒が今は145名!!建物はフル活用されるようになっていました。問題は何人かの生徒はベッドがなくコンク リートの床に布団を敷いて寝ていました。これから寒くなるのでああ、布団を今回は持ってくればよかったと後悔・・・来てみて気づくことが沢山ありました。 キッチン用品も生徒の増加に応じて増やさないといけません。
今回はフリースジャケット、ノート、鉛筆、本を中心に届けてきました。
先生方は私たちを大変歓迎してくださり、私たちの幸せと健康を祈るラオスの大切なセレモニー「バーシー」を行ってくれました。本当にその温かい心に感激 し、「バーシー」の間、心は感激で震えていました。このセレモニーではお膳に鳥(チキン)、もち米、お花、ろうそく、そして細い白い糸が乗っています。そ れをみんなで囲み右手でさわり、一人が祈りをささげます。そして何人かが健康や幸せ、成功を祈りながらもち米と鶏肉を「バーシー」される本人に渡していき ます。される側はそれを食べ、ラオスのお酒ラオラオを飲み(2杯?)その後みんな健康や幸せを祈りながらその本人に白い糸を巻いていきます。その糸が多い ほど良いのだそうです。
本来3日間はつけたままにしておくそうですが、私は日本でサポートしてくれている連れの事もみんなが祈ってくれたのでそのままで日本へ帰って欲しいそうなのでそうすることにしました。
その後みんなで食事となったのですが、あの強ーーーーーいお酒ラオラオはつき物で・・・断っても2杯は飲まされました・・・ラオラオ(約50度)4杯はつらいものがあります。
その後急いでムアンロン寄宿学校へ。ムアンシン~ムアンロンは約2時間。運転してくれている友人には申し訳ないのですがラオラオでダウン・・・その2時間は寝せてもらいました。
約4時ごろムアンロンにつき、先生たちと色々話し合い、学校の様子を見学。この学校には140人の生徒がいるのですが、ドミトリーの数が足りないので50 人が学校で寝泊りし、他は近くの親戚の家に止めてもらっているそうです。貧しい家の生徒が多いということで、村に一回帰ると学校に帰ってこないことが多い のが大きな問題です。また、自分たちで作った竹のドミトリーはもう壊れかけていて、風が吹き抜けていました。私たちはまだ個人の費用しかないのでそこまで 行き着かないのがつらいところです。
今回は毛布を足りない分補充、蚊帳、キッチン用品、フリースジャケット、ノート、鉛筆、ボール、その他学用品、本などを届けました。
生徒たちに通訳してもらいながら以前より話ができました。もっとラオス語が上手になりたいなあ。
その後夕食と先生たちととり、ビールが出てきて、またアルコールかあ・・・と思いつつも断われず。
その後、友人宅に招待され、またビールとつまみを用意してくれました。しかも、つまみは竹に住んでいる芋虫の炒めたもの・・・。私は肉を食べないのです が、今回「バーシー」の儀式ではみんなの心がこもった儀式なので、鶏肉を食べ、芋虫は私のために高価なのに用意してくれたので、芋虫も食べました・・・。 さすがに4つ食べて、「食べなれていないから、沢山は食べられないよ。」とギブアップ。
美味しいといえば美味しいのですが、やはり芋虫は食べるのがつらいです。
そんなアルコールと食べ物とみんなのもてなしにどっぷりつかり、またラオスの心の広さを感じました。
夜中やっとルアンナムターに帰り着き、その夜はノックアウト・・・ベッドで泥のように眠りました。

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